富士と折り紙

父の思い出

思うこと

父がこの世を去って、もうすぐ半年。いろいろな手続きや、支払いで慌しかったのが、一段落したところで、ふと気がついた。父も母も妹もいなくなって、私の実家の家族は私ひとりになってしまったのだ。妹が住むはずだった家、残された猫、隣近所の付き合い、一体どうしたらいいのか、相談する相手はもういないのだ。

とりあえず、家の中を片付けていると、古い写真や、見覚えのあるものが出てきて、ひとつひとつの思い出がよみがえってくる。そんな時、たくさんの記憶を抱えて、しばし茫然としてしまう。楽しかったことも、不確かでもう一度確認したいことも、誰とも分かち合えないことを痛感する。

もうみんなと会えないなんて、そんなのない。そんなわけない。私は、やはり、まだ受け入れられないのだ。

妹が倒れてから、父と2人で暮らした一年あまりの間、父とよく話したのは、父の子供の頃のことや、若い頃の思い出だった。高齢者は、古いことほどよく覚えているというけれど、繰り返し、まるで子供に戻ったように昔の話をしてくれた。私の子供の頃のことは、そうだったっけなぁ、というくらいの反応だったけれど、私も負けずに懐かしがって、古い話をたくさんした。今考えると、何とかけがえのない、大切な時間だったことか。

母や妹とも、もっともっと話したかった。

この半年、父の92年、母の82年、妹の61年を何度も思った。私の人生と分かち難い記憶ばかりだ。もし、私がこの世からいなくなったら、誰が思い出すのだ。もちろん、私と妹の子供たちはいるけれど。

毎日の暮らしの中で、ちょっとしたことで何かを思い出すと、立ち止まってしまうことが続く。そんな時、声に出して、父に、母に、妹に話しかけてみると、何だか一緒に喋っているような気がする。大抵、些細なことばかりで、だからこそ他の人には意味がないことなのだけど、私にとっては心の拠りどころになっている。

そんな独り言のような、心の中の会話を、書き留めたいと思う。